活動の記録

引越し歴27回のおじさんの回顧録vol17

お元気ですか

昨年は国内が未曾有のコロナ禍の中1年遅れの東京五輪を開催するという良きにつけ悪しきにつけ「離れ業」をやってのけた年でした。2020年の新型コロナの来襲により先の見えないトンネルに入っていって2年、動きを止められた暗く閉塞感に満ちた世界は、生きていく活力を奪っていきました。そしてこの間にいろいろな変化が起きました。リモートワークにフードデリバリー、自宅で完結できるものは自宅で済ませるようになってきました。旅行や飲食、ライブイベントへの興味も一旦リセットされ、これまで通りではない新たなかたちに変化していくのかもしれません。2022年に入って流行病との闘いも潮目が変わったように思えます。最初は得体のしれない病に怯えていたものでしたが、今となれば、次第に正体がわかりはじめ、対処の仕方と気構える余裕がでてきたように感じます。新たに発生したオミクロン株の感染急拡大が懸念されますが、薬やワクチンなどトンネルの先の一筋の明かりを頼りに、ダメージを受けた経済が復興し安心できる暮らしを取り戻す年であってほしいと願っております。

引越し歴27回のおじさんの回顧録vol17 (押し寄せる趣味という欲望)

1992年は、バルセロナ五輪で水泳の岩崎恭子が14才で金メダルを取った年で「今まで生きていた中で、いちばん幸せです。」とのコメントが印象的でした。一方当時若者に絶大な人気だった歌手の尾崎豊が26才の若さで他界。日本中の尾崎ファンの悲しみを誘いました。世の中は株価が高止まり、ウォーターフロント開発と銘打った不動産開発が目白押しで、次々にオフィスビルや商業施設の開業がされていきました。「祭りの終わり」をどこかで予感しつつも地価の高騰は続きバブルの歪んだ豊かさの中で混沌とした空気が流れはじめていました。私は、ビール会社入社から3年が経過し仕事にも慣れ、生活に余裕が出来て気持ちも落ち着き、これまで仕事のことばかり考え続けてきた反動なのか、堰を切ったように遊びのほうへ気が回るようになり、趣味のアマチュア無線での仲間との交流も盛んになり、毎晩のように常連の複数の無線局が順番に日常のたわいもない話をしていくラウンドという交信をしたり、無線仲間と出かける週末が待ち遠しくなっていきました。平日は仕事を懸命にやって休日はおもいっきり遊ぶ。メリハリのある生活は仕事も遊びもとても充実していたように思います。

あるとき無線仲間で海岸でバーベキューをすることになりワイワイやっていると、仲間の一人に釣りが趣味というy氏がいて、投げ釣りの仕方を教わったのを機にすっかり釣りにハマってしまい、数日後には釣具屋を紹介してもらい道具を一通り揃えて一緒に釣りをするようになりました。カレイ狙いの投げ釣りやチヌ釣りがメインでしたが、釣果がほとんどなかったので悔しさのあまり、遠くは和歌山の白浜にある釣り筏に毎週のように通うようになりました。こうなると病みつき状態で、金曜日の午後になるとそわそわし始めて早々に仕事を終わらせて家に直行して釣りの準備をはじめ夜中の1時には車でY氏と合流。夜の国道をひたすら南下し途中で行きつけのエサ店でエサを調達したり、早朝の定食屋で腹を満たし朝5時出船の船着き場の駐車場でひと時の仮眠。出船が近くなるとテンションはどんどん上がっていき頭の中は大物のクロダイをしとめた妄想でいっぱいに。筏に渡り釣り座について第一投目の仕掛けを入れたときから一瞬の魚信を捉えようと張り詰めた緊張の時間が始まる。この一連の流れ自体がたまらなくワクワクの時間なのです。しかし、ご多分に漏れず描いた妄想は現実離れしているのはよくある話。どんなに粘ってみても思うように釣ることができず、むなしく夕暮れを迎える日々の連続でした。陸にあがって船着き場の近くの銭湯で汗を流して帰路につくのですが、車内は釣れないくやしさとはかなさと後悔といろいろな感情が交錯するのですが、なぜか自宅に帰るころには「海は無くなる訳ではない。今度こそ釣ってやる」と心を決める「へぼ釣り師」なのでした。

釣りの魅力はなんといっても、見えない相手(魚)とのやりとりでですので、想像力、行動力、分析力が試されるところにあります。平たく言ってしまえば、「あーじゃねーか?こうじゃねーか?と試行錯誤する」プロセスを楽しむということだと思います。魚は住処や食事時間が状況によって変わりますので、潮の流れや満ち引き、場所、天候、水深、水温、時間、季節といったファクターを総合的に判断し、その状況に合う道具、仕掛け、エサを考え、最終的に仕掛けをおろして当たりを待つということに至ります。ましてや釣れれば何でもよいわけではなく魚種や型を限定して釣るとなると更に奥が深く難しさが増します。例えばクロダイの大判を釣ろうとすれば、釣果実績のある場所で、大潮回りで上げ三分下げ三分の潮が緩む時間帯、季節は春の産卵期浅めの水深のところに集まる大型魚を狙い、仕掛けとエサを〇〇でなどと、経験測とデータ分析の中から想像力を働かせて高確率で釣れる方法を突き詰めていく訳です。ですのでサラリーマン根性よろしく土曜日曜に限って釣れてほしいとか、釣り糸を垂らしていれば何かが釣れるだろうなどという人間の勝手都合などは自然界にとってみればどうでもよいことで、釣りたければ出来る限り自然の法則に寄り添わなければなりません。もう一つおもしろいことに、金持ちの高級竿であろうが、安物の竿であろうが、泳いでいる魚にとってみればまったく関係なく、それは釣り人のこだわりや見栄にすぎません。魚を掛けて以降のやり取りに性能差が多少あっても、安にお金をかければよく釣れるというものではないのです。こうして「釣り」というものを眺めてみると、一見のんびり釣り糸を垂れているように見えるのですが、実は頭の中はフル回転していて、事業や商売に精通するものもたくさんあるように思います。

不思議な出来事

この年に、父方の祖母が亡くなり、岡山の父の実家での葬儀に参列してたときのことです。葬儀が終わり出棺して斎場に向かう親族が乗る車列が出発して実家の近くを通るバイパスの高架の頂上付近に差し掛かったとき、なぜか先頭の霊柩車が左端に寄せて止まりました。最初は運転手が気を利かせて家の見渡せる場所で停車したのかと思っていましたが、その後も交通量の多いバイパスをとろとろと進む状況が続き、何か様子がおかしいと思っていましたところ、バイパスをはずれ斎場のある丘の登坂で、とうとう車が完全停止してしまいました。聞くとバイパスに出たところあたりから急に霊柩車のエンジンが調子悪くなり止まってしまったとのこと。急遽葬儀社の別の車でけん引して斎場までなんとかたどり着くという珍道中で、葬儀社もこのようなことは初めての経験と言っていました。偶然の出来事であったのですが、あまりに止まるタイミングが良すぎたので、祖母が長らく暮らしてきた家を見納めにと車を止めたのか、それともお別れの挨拶をしたのか、そんな故人の意志を感じ取れるような不思議な出来事でした。

教訓

仕事ばかりではありません。ときに趣味に浸って楽しむのも人生です。

 

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