活動の記録

引っ越し歴27回のおじさんの回顧録vol3

こんにちはお元気ですか?

流行病の緊急事態宣言の延長期間に入りましたが、功を奏したのか感染者数が目に見えて減ってきました。ワクチンの接種準備も着々進んでいるようですので、疫病には退散してもらって早く息つける日が来ますようにお祈りいたしております。ところで自粛生活によって、世の中が大きく変化すると言われておりますが、具体的にどのような変化が起こるのでしょうか。たしかにみなさんが病原菌の存在を意識するようになり、ソーシャルディスタンスやマスク、手洗いなどの予防行為が定着してきましたので、この病が収束しても何かの形で習慣として残り、世の中の人は清潔好きになるかもしれません。一方で旅行に行けない、呑みに行けない、カラオケや映画演劇に行けないなどは、これまで自由にできていたことが制限され皆が我慢していますので、病が収まった瞬間から急速に元に戻るように思います。むしろ今回の流行病が人の動きを止めたことによって気づいたことがありますよね。例えば、行かなくてもリモートで済む出張とか、家でやっても会社でやっても同じ結果の仕事とかです。これまでピーク時間に満員電車に乗って会社に行くことが当たり前だったものが、これからは家で出来きない仕事のときだけ必要な時間に出勤すれば良しとするスタイルに変わったならば、取ってつけたようなノー残業dayなんかより本当の意味での働き方改革になる訳です。ほかにも家に居ることが多くなったことで身の回りで出来ることに気づき、DIYや料理にハマる旦那さんの存在も環境の変化が生んだ結果ですね。誰もが平等に与えられた1日24時間を有意義に過ごすために、今こそ「当たり前」を疑ってみる良い機会だと思いませんか。新たな世界が待っているかもしれません。

引っ越し歴27回を語る(埼玉編~その2~)

昭和45年からの約5年、埼玉での自宅は3箇所2回の引っ越しをすることになり、小学校は転校、編入で合計3校に通うことになりました。最終的に1学年に10クラスもあるマンモス校に落ち着き高学年の日々を過ごすのですが、この時に大流行していたのがプラモデルです。月に一度のお小遣いを握りしめては模型屋によく通っていました。当時テレビで戦争映画がよく放映されていたこともあり、ミリタリー系の模型が好きでした。といってもお小遣いで買える限界があるので、もっぱら店頭に飾ってあった細かい塗装を施し組みあがった精巧なジオラマを友達と見るのが楽しみでした。もう一つハマったのが鉄道写真です。大宮は鉄道の拠点で、東北本線、高崎線、川越線、京浜東北線が乗り入れていましたので、いろいろな列車が走っていました。家にあった当時はやっていたシャッター押すだけのハーフカメラを持ち出しては、友達と自転車に乗りまわして様々な撮影ポイントを捜し歩いて鉄道写真を撮っていました。当時は今みたいなデジタルではなく、フィルムを装填して巻き上げる方式で、フィルム代、現像代、プリント代とたくさんお金がかかりますし、なによりデジタルのように何回もシャッターを切って、いいとこ取りできるものでもなく完全に一発勝負なのです。1枚も無駄にしたくない一心で、シャッターを押す瞬間は緊張感の塊のようなものでしたが、そこは小学生、動くものを捉えるのは難しく、出来た写真はブレまくっていたり、シャッターの押すタイミングが早かったり遅かったりでほとんど見るに堪えないものばかりで、まぐれで撮れたピントの合った特急の写真は宝物でした。人生無駄なことは一つもないと言いますが、この遊びが今日の仕事に結びついているのかなと感じています。このころの想い出というと、小学校6年生の夏休みに新幹線に乗って父の実家のある岡山まで行った記憶です。当時の新幹線はあこがれで、乗れることがとてもうれしかった。例によって列車の中の探検をして食堂車へ…北海道から東京までの特急でかいだあの洋食の匂いのする特別な雰囲気がよみがえってきてぞくぞくしたのを覚えています。岡山では、年上のいとこに当時流行っていたボウリングに連れて行ってもらいました。予約3時間待ちとかがザラの超人気娯楽でしたが、冷房がガンガン効いていて、ピンが跳ねる音やボールの転がる音、コカ・コーラの瓶の自販機などまるでアメリカ映画のような雰囲気がとても新鮮だったのを覚えています。埼玉には中学校1年の1学期まで過ごし、父の転勤で兵庫の姫路に引っ越しすることになります。

 

引っ越しが多い一家。まるで根無し草の流浪の民。周りの人からは、よく「なじみのない土地で学校に通うのは大変だね」と言われたのですが、小さい頃から引っ越し、転校には慣れっこになっていたのか、思春期前のうぶな小学生だったせいかわかりませんが、あまり苦にしていなかったように思います。辛いこともあったのかもしれないのですが、知らない土地、知らない人への好奇心のほうが上回っていたせいか、むしろ時々に楽しみを探しては夢中に追いかけていたような気がします。遊ぶのが夢中で勉強はさっぱりダメでしたが、感受性の高い頃に、いろいろな土地のいろいろな人に出会って刺激を受けたのはとても有意義だったし、何かに夢中になっていると不思議といじめにも遭わなかった気がします。いじめに悩んでいるみなさん、なんでもよいので自分が夢中になれるものを探して追いかけてみてください。他人からどう思われているかなどあまり気にしなくなります。きっと価値観がかわりますよ。

 

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