活動の記録

引っ越し歴27回のおじさんの回顧録vol9

みなさんお元気ですか?

ゴールデンウィークもコロナの感染拡大で帰省や旅行もなかなかできない状況で息が詰まりそうな中、春の余韻を残しつつ、いきなり梅雨入りになってしまいました。今年は何かと普段と段取り違うので戸惑いますね。温暖化、異常気象と言われていますが、明らかに地球の気象が変化してきているのを感じます。この先どのようになっていくのかわかりませんが、所詮人間は自然の力に叶うものではなくなすがままに順応していくしかありません。コロナの影響で人の動きが世界規模で減少したということは相当なカーボン減になっているはず。「地球環境にとっては良い方向に進んでいる」とどなたか効果検証してくれれば巣籠もやりがいが出てきますね。ワクチン接種も本格的に始まりましたので、いつになるかわかりませんが、コロナも収束することでしょう。そうすれば徐々に元の生活を取り戻せるはずです。それまでの不自由は先の自由に向けての修行みたいなものですね。頑張りましょう!

引っ越し歴27回のおじさんの回顧録vol9(仙台編 大学卒業)

1983年(昭和58年)は東京ディズニーランドが開園した年でした。私は、足りない単位をとるべく下級生と一緒に授業を受けながら、ゼミの在籍が認められ、研究課題に取り組み始めました。言葉でまとめるとカッコいいのですが、勉強嫌いの私にとっては満身創痍、「卒業」というゴールまで休むことも転ぶことも許されない一本道を突き進むしかなかったのです。当然アルバイトも時間が取れなくなり、すっかり馴染んだ職場でしたが夏休みの後半から辞める決断をしました。夏休みが終わり秋口には就職内定をもらう同級生が出始めていましたが、私は「卒業」の2文字の呪縛から逃れることが出来ず、就職先を考える余裕もないままに焦りを感じ始めていました。

冬休みに姫路の実家に戻りがてらパソコンのプログラミングを勉強していた父を尋ねて伊丹の単身赴任先に行きました。卒業研究の保温ルーバーを付けたパッシブソーラーハウスの設計に必要な仙台の年間気象データを加工して月別平均日照時間や気温を割り出すのに、当時流行していたNベーシックという言語のパソコンでプログラミングするのを手伝ってもらうためです。当時は今と違って記憶装置といえばカセットテープが主流で、フロッピィディスクは開発されたばかりでとても高価な時代でした。「ピーヒャラヒャラ」と音を奏でながらカセットテープにデータを記録させるのですが、とても動作が遅く次の日仕事に行く父には悪かったのですが、寝ずの作業になったことを覚えています。父とは高校時代からあまり話す機会もなくきていましたので、久しぶりの親子の会話となり、このときに卒業するのが精いっぱいで就職どころではないという状況を父に打ち明けました。

試験が終わり、遅れていた単位の取得も何とか見通しが立ち、あとは卒業課題に向けスパートをかけていくことになりました。ゼミの仲間と卒業制作の時間を共有できるようになって、ようやく人並みの大学生に追いついたという実感が湧いてきて少し安堵しましたが、相変わらず就職先は目途さえ立っておらず卒業のその先は考えないことにしていました。この開き直った余裕は何かというと、住み込みの新聞配達やガソリンスタンドのアルバイトをみっちり経験したお蔭で、社会に出ても何とかやっていけるという根拠のない自信が芽生えていたからでした。

一方このころになると、就職活動に精を出す者がいる傍ら、留年確定の仲間も数人出てきていました。うさぎと亀ではないですが、入学したころはとても優秀な学生だったのにどうして?という人もいました。他人様のことをとやかく言う立場ではありませんが、超低空の瀬戸際を歩いてきた経験から言うと、卒業するか留年するかのポイントは「小さな気づきと修正の積み重ね」ではないかと思います。同じようにのんきに学生生活をしていたとしても、「卒業」のことを少し意識して危ういなと思ったら「ちょっと頑張る」という方向修正をしたか、先送りにしたかの違いだけです。このごく小さなベクトルの差が、時間経過とともに大きな差となり、分岐点に立ったときに先に何が見えているかが変わっていくのだと思います。

よく「状況が人を変えるのか?」「人が状況を変えていくのか?」という議論がありますが、私の場合、4年間で5つの住処を渡り歩き、周囲の環境がまるで映画のストーリーのようにどんどん変わり、さまざまな人とのお付き合いにも触れたことで、自分自身が成長し変わっていったのではないかと思っています。但し、このような混とんとした中でも「4年で卒業する」というゴールイメージは心のどこかでグリップしていたような気がします。その理由は「嫌いな勉強から、いち早く離れたかった」からです。それともう一つ「人間は意識した方向に進んでいく」という習性を、会津磐梯山の左コーナーをバイクで曲がり損ねて転倒し、あわや対向車に惹かれていたという事故を起こしたときに身を持って思い知らされたからです。このとき左カーブに食らいついてカーブの出口に視線を向けていれば転ばないで済んだのに、なぜか行ってはいけない対向車線の先のガードワイヤーの方向に視線が向いていたのです。みなさんも駅のコンコースで向かってくる人に気をとられて目が合ってしまい、引き寄せられるようにぶつかりそうになった経験がありませんか?「ぶつかるかもしれない。この人どっちに行くの?」と思った瞬間に自分の行くべき方向を見失っているのです。ですからこの事故以降もバイクに乗ることが多かった私は、日ごろから「自分の行くべき方向を見失なうな」と自分に言い聞かせていました。

いよいよ卒業課題の発表会も終わって「卒業」の2文字が現実になり、やっと一息つける時がきました。同じゼミの同級生たちと、友人のアパートで祝杯をあげ、巻いたゼンマイを一気に解き放つかのように、ひと時の喜びに興じました。想い出話しをすると決まって「お前よく卒業できたな」という話題になりました。周りの人間はてっきり私が留年するものだと思っていましたし、自分でも勉強嫌いで遊びに夢中、アルバイトに夢中の人間が4年で卒業できたのは奇跡だと思いました。きっと大学の先生方からすればこんな劣等生は早く追い出したかったのかもしれません。

ありがとう仙台

ただ、問題は就職をどうするのか?これが目の前の大きな課題でした。年が明けてまもなくのことでした。父が知り合いの大阪のコンサルティング会社の社長にこっそりお願いしてくれていて、就職先を紹介してくれることになったのです。紹介先は大阪の中堅の洋菓子製造直売の会社で大卒の幹部候補として迎えて頂けるとのことでしたので、有無を言うことなく即決で就職が決まりました。ありがたいことにここでも父に助けられました。私はこのとき22才。いよいよ18才から4年間お世話になった仙台を離れ大阪で暮らすことになります。相棒として乗り続けたバイクは惜しくも持っていけなかったので大学3年の同期に譲ることにして、荷出しを終え、仙台駅のプラットホームにいくと、お世話になったガソリンスタンドの社員の方や仲良くなったお客さんが見送りに来てくれていて「けっぱれ けっぱれ」(仙台弁でがんばれの意)って声援を送っていただいたのを覚えています。振り返れば、遊びと仕事と学業のバランスが崩れ転覆寸前、大きく舵をきる場面もあったのですが、周囲の多くの人に助けられました。新聞販売店の所長やガソリンスタンドの社員の方々には、社会人一歩手前の踊り場でいろいろなことを学ばさせて頂きましたし、大学の先輩や友人は、遊びに勉強に親身にお付き合い頂き支えてくれました。なにより大学に行かせてもらった両親に感謝です。振り返れば「頑張るとき」に「頑張れた」のは皆さんのおかげだと思っています。本当にありがたかった。

思い返せば、ここまでの私は、引っ越しで2~3年ごとに学校や友達が変わり、新たな風景が広がっているというのを繰り返していたため、同級生同士の競争や地元の幼馴染とのなれ合いや喧嘩といったことを疎ましく思っていました。そのせいか争って何かをすることに抵抗を感じていました「自分の立ち位置は大衆の中の凡だけれど、皆と少し考え方が違う」という感覚はどんどんと広がり、とうとう受験戦争とか就職戦線とか言われていた競争のステージには一度も立つことなく(避けていたかもしれません)学生時代を過ごし社会へ飛び込むことになります。

ショッキングな出来事

大学4年の春、卒業に向けてだんだん忙しくなり、そろそろアルバイトも終わりにしようかと考えていたある日のこと、ガソリンスタンドの常連のお客さんが血相を変えて「いま 人が飛び降りたので警察に電話~!」と言いながらレジカウンターへ飛び込んできました。アルバイト先のガソリンスタンドは、仙台では有名な自殺の名所となっている橋の近くにあったのですが、たまたまその橋を通り掛かったお客さんが、柵を乗り越えようとする中年男性を見つけて車を止めて声を掛けたのですが聞く耳を持たず一心不乱に柵を登ろうとするので、思わず車から降りて足をつかんで引きずり降ろそうとしたのですが、ものすごい力で身体ごと持ち上げられてしまったというのです。その直後に振りほどかれて、その人はあっという間に谷底へダイブしてしまったそうです。そのときの形相はもはや普通の人間ではなかったと興奮しながら語られていました。自死しようとする人は精神的にも肉体的にも、もはや人間にあらず、そしてその命が亡くなるときはとんでもないエネルギーを発するものなのかもしれません。誰でも人生を歩んでいれば死にたいと思うこともありますが、自分のいくべき方向を見失わず、周りの人たちに助けてもらいながら、「命というものすごいエネルギーの塊」をこの先の人生で燃焼させていきたいものです。

教訓

  1. 「人間は意識した方向に進んで行く」習性があるので、この先どうしたいのか決めておきましょう。
  2. 振り返れば周りの人に助けられて生きて来ています。そこには感謝しかありません。
  3. 実践、経験は自分を強くします。くじけないでやり続けていると、ときに思ってもみない奇跡を起こします。

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