活動の記録

引っ越し歴27回のおじさんの回顧録VOL12(転職の兆し)

お元気ですか?

新型コロナの収束のポイントはワクチン。早くからワクチンの確保と接種に一所懸命だった国々は経済が動き出しました。日本は先進国であると言われてきましたが、ワクチン接種に関しては残念ながら発展途上国のようで、「あべのますく」を日本政府が280億円かけて配り始めていたころ、イスラエルはすでにファイザーのワクチン供給契約を済ませていたようです。政府のコロナ対策もマンネリで、東京では4回目の緊急事態ということになりましたが巣籠も精神的な限界にきており、欧米各国のような政府主導のロックダウンと異なりお願いベースの非常事態宣言の日本は、経済支援も欧米にくらべると極端に少ないのが現状で施策への不満が日本中に渦巻いています。このような状況の中、開催の可否、観客入場の可否をめぐって協議されてきた東京五輪は開会式の2週間前になって「無観客の開催」が決まりました。現場で働く人たちは無観客とはいいながら大変なご苦労があるのではないかとお察し、お見舞い申し上げますとともに、開催地が非常事態の状況下での異例の開催であることを踏まえ五輪大会が何事もなく無事に閉会することをお祈りするところです。政府にはとにかく国民のワクチン接種率を早々に達成するよう最大限努力してもらい、コロナ前の景気と平穏な暮らしを一刻も早く取り戻せるようにしたいものです。また異常気象による豪雨災害がここ数年毎年起こっています。いよいよ地球規模で温暖化の影響が如実に出てきているようです。豪雨や台風による水害、熱波による山火事や干ばつが世界中の脅威になっています。心配されるのは、食糧危機です。日本の食糧自給率は3割ほどですのでほとんど輸入に頼っています。これから世界中で食糧が不足してくると、取り合いになり値段が高騰、思うように食べ物が手に入らなくなるかもしれません。スマート農業による高効率な生産体制や、農業従事者の若返りの仕組み、フードロスへの取り組みなど自国の需給率を上げてバランスをとっていくことが、これもまた急がれることかもしれません。新型コロナで生活のリズムが狂ってしまいましたが、この先やることもたくさんありそうですね。日本丸の船長も「国民の安心と安全」をどのようにすれば実現できるかの具体的ビジョンを国民に示し舵を切る時期に来ていると思います。私もこの先の生き方について今一度冷静になって考え、出来ることから行動していきたいと思います。

引っ越し歴27回のおじさんの回顧録vol12(転職の兆し)

大阪枚方市の公団住宅に無事に引っ越しして枚方市から大阪難波までの通勤をはじめたのですが、バスも京阪電車も地下鉄も朝のラッシュは激しいものがありまして、カーブを曲がったりブレーキをかける度に、つり革がちぎれるのではないかと思うほどの圧がかかりました。夏になると冷房も役に立たないくらい暑くて、べたつく汗とむさくるしい空気にまみれながら、京橋駅まであと少しというところで、先行列車待ちのアナウンスが…待たされている2~3分がものすごく長く感じて、ようやく電車がホームに滑り込み、ドアが開いて噴き出すように人が出ていくかわりに外の新鮮な空気が入ってきたときには、思わず「ふぅー」とため息がでました。店に着くころには汗だくのくたくたでした。

1988年日本はバブル経済で好景気が続いていたのですが、任されたソフトクリーム喫茶の売り上げは以前低迷が続いていました。このころ参加していた勉強会や本で仕入れたマーケティングの知識をもとに、やる気を失った職人達を何とか活かしたいという想いもあって、今度はハーフサイズのケーキを2種類選べるドリンク付きのケーキセットを考案しました。ケーキの種類は12種類で、想定原価内で試作してもらうように職人のリーダーにお願いしました。既製のソフトクリームを巻くだけのパフェ作りにうなだれていたケーキ職人たちもこのときは少し目を輝かせて商品開発を行ってくれました。しばらくすると、このケーキセットは店で一番の売れ筋になっていきました。勢いをつけるために思い切って月に一度の「ケーキ食べ放題ディ」を展開して盛り上げを図ったりもしましたが、ポップな内装はいじらない方針だったため、OLをターゲットにしたやや高単価のメニューと、ティーンエイジャーが好むパフェや300円のテイクアウトソフトクリームが混在し、気づけば、ちぐはぐで何屋かわからない店になっていました。

そこで少しでもギャップを埋めようとシンボリックフラワーをフラワーデザイナーにお願いしてエントランスに置いてみたり、ショーケースをいじったり、薄汚れてほころびの出来たベンチシートは閉店後に強力な洗剤で洗い、ほころびは裏からガムテープで補強したりとできるだけのことをしましたが、店の都合通りにお客様を呼び込むことが出来ませんでした。その後しばらくしてこの店を閉店し新たに新神戸に喫茶と洋菓子の新規店を出店することが役員会で決定します。そして私は心斎橋本店の店長が自己都合退職されることになり後任に抜擢されることになったのです。心斎橋本店のマネジメント、新規店の企画、ヘルシーケーキのプロジェクトの参加とさまざまな仕事を同時並行で行うことになりました。

ヘルシーケーキの開発プロジェクトでは、当時若い女性を中心にダイエットでスリムな身体になるのが流行し、エアロビクスブームやヘルシーブームで甘いモノ離れが加速していたときで、これまでの「甘いのがお菓子」という常識を「ヘルシーなお菓子」という定義に置き換えて商品開発を行うというものでした。言葉にすれば簡単ですが、いざ商品作りとなるとなかなか一筋縄ではいかないもので、砂糖の代わりにオリゴ糖を使ったり、ヘルシー感を伝えようとフルーツの代わりに野菜をのせたり、生クリームの代わりにゼリーにするなどさまざまな工夫をするものの、やはり従来のお菓子のおいしさには到底かなわないものでした。

一方、新規出店準備では、初めての経験で周りに教えてくれる人も無かったため素人同然で、段取りもおぼつかないまま、時にメニュー開発、時にテーブルウェアやユニフォームの選定、さらに内装のパースも学生時代にかじったデザインのノウハウで描いたりと、手あたり次第に目の前の仕事をこなす日々の連続で、オープンの日がどんどん近づき、追い詰められていくような思いでした。ほぼ全日の出勤で夜遅くまで仕事の毎日が続き精神的にも肉体的にも疲れきっていました。

そのような中、用事があって本社に顔を出したおりに、ある営業幹部からヘルシーブームで甘いもの離れが加速し基幹商品のシュークリームやケーキが売れなくなっていたことに加え、コンビニエンスストアの台頭によって「家族単位から個単位」へ購買構造がシフトし始め、さらに競合企業が製造直売の安売り戦略で郊外の駐車場付き店舗を構えてその勢力を拡大しはじめて、我が社の駅のコンコースやデパートの直営店の売り上げがじりじりと下がり危機的状況になっていること。さらに創業者亡きあとに後継者3人の兄弟があろうことか喧嘩を始めたことを耳にします。これまで創業家と従業員との確執や脆弱な組織と経営職の在り方にさんざん思うところがあった私は、直感的に「売り上げの立て直しが最優先課題の時に社長同士が兄弟喧嘩を始めるなど、とてもこのままでは会社はもたない」と感じました。

深刻な状況と多忙な日々を受け止めながら、ある日昼食のあとに入った喫茶店で通勤途中に売店で買った日経新聞を何気なく開くと中途採用の求人募集が目に留まりました、よく見ると通常ならば中途採用をしないはずの日本を代表する大企業が求人を行っているではありませんか。当時の日本はバブルの真っただ中で人手不足が深刻で求人倍率が膨らみ売り手市場だったのです。マーケティングやレジェンド経営者の本を読みあさり、大企業にあこがれを抱いていた私は、「これは神のお告げ?もしかしたら千載一遇のチャンスかもしれない」と心をを揺さぶられました。一方で「これまで勉強嫌いで無名の大学をギリギリで出たような人間が受かるはずがないよ」と現実を帯びたもう一人の自分が顔をだして冷静さを装います。また、「これまでお世話になった方々や会社を裏切ることにならないか」とか、「ここで転職にチャレンジしないで本当に悔いがないのか」とかいろいろと悩み抜いた結果、だれにも言わずに面接を受ければ、たとえ選に漏れても他人を巻き込むことなく自分事で済むし、万が一採用決定になった場合にどうするのか決めれば良いのではと考え転職にチャレンジしてみることにしたのです。

時代は変化します。時代の波によって人の考えや行動も変化します。たとえ自分が普段と変わらない生活を送り続けたいと願っても、やがて選択を求められる分岐点に立たされる時が来ます。「馬鹿にされても自ら欲してターニングポイントを見極める」のか、「常識を装って周りの人々の動きに乗じる」のか、「これまで歩き慣れた道だから危うくなりそうでも進めるだけ歩く」のか、それとも「これまで通ったこともない新たな道にチャレンジする」のかあなたならどうしますか?

胸騒ぎ

ある日、心斎橋本店の閉店作業が終了し2階のデシャップで遅番シフトのメンバーでしばし談笑していました。厨房のメンバーの一人が「そういえばI君の姿が見えないけどもう帰ったのかな」と言い出しました。私は何か胸騒ぎを感じ明かりの消えた3階の客室に向かって階段を駆け上がると、デシャップの奥にあるダウンウェーダー(ケーキや飲み物を運ぶ昇降機)に右腕を挟まれて唸っているI君を見つけたのです。「大丈夫か?」と駆け寄ってみると、昇降する箱と枠の間に完全に右腕が挟まって身動き出来ない状態で「痛い!」と激痛に耐えていました。思わず隙間に手を入れて箱を持ち上げようとするのですがピクリとも動きません。下の仲間を呼んで来ようとしたときI君はもう少しで手が抜けそうなのでもう一回やってくれと言ってきました。それを聞いて渾身の力で箱を持ち上げたところI君の右腕はするりと抜けたのでした。激痛と恐怖で歪んだ顔は安堵の顔にかわり、腕を振って指を動かすと腕の血の気も戻り、出血や骨折もなくことなきを得たのでした。I君になぜ右腕が挟まったのかを聞いたのですが、昇降機に食器を重ねて載せた際に不安定になって扉を閉める間際に反射的に手を添えようとしたところ、吸い込まれるように腕を持っていかれたとのことでした。普段考えもつかないことが起こり、そして第六感とも言うべき「胸騒ぎ」で現場に導かれたことに関しては「不思議」としか言いようがありません。もしI君を置き去りにして帰っていたらと思うとゾッとする出来事でした。

教訓

  • 人も職場も思う通りではありません。その中で生きていくコツは「やれること」「やれそうなこと」を探して「やってみる」ことです。
  • 人生の分岐点は必ず訪れます。見逃さないように感度の良いアンテナを張りましょう。
  • 「大事なことは自分で決める」ことが、「他人のせいにしない」秘訣です。

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