私は引っ越し歴27回、サラリーマン歴35年、起業から2年、還暦一歩手前の多趣味なおじさんです。
私は、1962年岡山の生まれで、来年還暦を迎える独身のおじさんです。大学卒業後菓子メーカーからアルコール飲料メーカーに転職して通算35年サラリーマンでお世話になっておりましたが、2年前にドローンの事業を創業し現在は兵庫県宝塚で勝手気ままに暮らしています。これまでいろいろな方にお会いして、「生まれてこれまで通算27回引っ越ししました」というと、皆さん「へぇ~」とびっくりされるので皆さんにとっては珍しい人間なのかと思いまして、「この星にうまれて」というタイトルで、たわいもない私のこれまでの経験をお話してみたいと思います。ちなみに創業した事業名は「フライングスター」です。あちらこちらにいった自身の経験から自由に飛びまわって、きらりと光るスターになりたいなとの想いをイメージして名付けました。
2020年からの流行病は人々の生活を一変させてしまいました。一方で地球温暖化は止むことなく、世界中で異常気象による未曾有の洪水や山火事が後を絶たちません。もし「神様」がいるなら、勝手都合に有害ガスや放射能をばらまき、大量にものを作っては捨ててきた人間に対し、「これ以上地球をよごすな!少しおとなしくしていろ!」と言われているような気さえいたします。「この先どうなるのだろう」と不安で立ち止まってしまうのですが、冷静に考えてみれば、もしも寿命が80才だとしたら、はかなくもおせち料理を78回(二歳までを除く)ごちそうになったら終了なのですね。しかも、いつ寿命がくるか誰もわからないのですから。だからといって、先を案じて他人様よりたくさん食べようと急いでかき込んだり「まずい」と言って箸を止めたりするより、平凡であれ非凡であれ、酸いも甘いも与えられたものを一口一口味わってみるのも人生ではないかと感じています。「今」を生かされていることがありがたいと思って一日を大事に生きる。流行病の昨今だからこそ改めて心がけるようにしております。
引っ越し歴27回の想い出(幼少期北海道編)
両親の実家がある岡山で生まれてすぐに、父の仕事の関係で北海道帯広市(少しだけ静岡県御殿場)で幼少期を過ごすのですが、その間にすでに引っ越しが4回ありました。そのころの北海道はまだじゃり道が多く、石炭を積んだ馬車がのんびり通っていたり、車掌さんが乗ったボンネットバスが土埃をあげて走っているのどかな街でした。小学校までは2キロ以上あって子供の足ではとても遠く感じていました。時々ずるをして広大なビート畑を横切ってみたり、小川のせせらぎで湧き水とともに湧き上がるキラキラする砂金(金ではないかもしれません)をみつけたり、雑木林のどんぐりを拾ったり、寄り道しながら学校から帰ると、家の裏山の雑木林の探検、小川の横の秘密基地などなど遊ぶのはほとんど外。幼少期だけに見るものすべてが新鮮で、雨の日に家にいるのが憂鬱でした。また、ある日のこと学校からの帰り道で、走っても隠れてもついてくる野良犬に出くわして、家にたどりついたときには、恐怖から解放されてわんわん泣いたことを覚えています(犬にしてみれば、ただついていってみただけなのにね)。冬はとても厳しく、除雪した道の脇には2メートル近くの雪の壁をつくります。ほかにも近くの銭湯からの帰りに濡れたタオルをふり回すと棒のように凍ってしまったり、髪の毛はぱりぱり、まつげは凍って瞬きのたびにしゃりしゃりいってました。課外授業は小学校のグランドに水を撒いて作ったスケートリンクでスケート、自宅の裏山はスキーができる丘がありましたからウインタースポーツはやり放題でした。そんな北海道でしたが、父の転勤で小学校3年生の時に離れることになります。
とにかく北海道はおおらかで自然がいっぱいで、厳しくも温かく自分を育ててくれていてくれていたことを今になってつくづく感じています。こんな昭和40年代から半世紀の間に世の中は目まぐるしく変わりました。自家用車、エアコン、液晶テレビ、スマホにパソコンは当たり前にありますし、外を歩けばコンビニや飲食店が立ち並び、買い物はネットショップであくる日には品物を届けてくれます。ほしいものは何でも手に入る便利な時代になりました。この先もさらに、車が自動運転になり、AIが人間の代わりに正確な答えを出し、人型ロボットが人間の代わりに働き、気軽に宇宙旅行にいくという、まるでSF小説のような未来図が描かれ、人間のあくなき野望は尽きることがありません。こんな環境の中、平成生まれの今の5~7才はどんなことに夢中になって、未来を見つめる眼差しの先に何が映っているのでしょうか?幼少期を自然に包まれるように育った昭和生まれのおじさんとは、良きにつけ悪しきにつけ大きなギャップがあるのをひしひしと感じながら、平和なときが末永くつづくことを願っております。